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フランス旅行記(4)


2008年4月 1日(火)


ロワール川の城巡り

 さて一夜明けて,年度初め4月1日になった.本来なら気持ちも新たにというところだが,休暇中の人間にとってそんな実感は全くない.この日はパリを離れて郊外に繰り出す予定である.
 フランスというと今日ではひとつの国であるが,中世には多くの封建領主が割拠する封建国家であり,これが一人の国王の下に支配される中央集権国家になったのは中世末期のヴァロア朝が成立した頃からである.そんな国内が統一に向かう時期は,当然戦争が多かった時代でもあり,特に13〜14世紀に起こったイギリスとの百年戦争は有名である.国家としてのフランスが形成される大きな契機となったのはこの百年戦争であった(一方で国家としてのイングランドが成立する契機もこの戦争であった).

シャンボール城

シュベルニー城
 
 この時代にはまた国の中心もあちこち移動しており,特に百年戦争前半フランスが敗戦続きだったころには,王侯貴族は各地を流転していた.
 そんな彼らの居城が見られるのがパリ南方にあるロワール川一帯である.川沿いに中世から近世にかけての城がたくさん残っているのである.この城めぐりをしようというのが本日の嗜好である.
 実はこのロワール川の城めぐりは私にとっては初めてではない.1991年にはじめてのヨーロッパ旅行をした際にも来ている.しかしこの時は鉄道や一般の路線バスを使っての訪問だったため,交通機関の接続の悪さに非常に苦労をした.このため今回はあらかじめ主要な城郭への観光がパックされた現地ツアーを利用することにした.
 

シュノンソー城
 


シティラマ社

 ロワール川の古い城郭はフランスでも有名な観光地であり(シュリー=シュル=ロワールからシャロンヌまでのロワール渓谷という名称で世界遺産に登録されている),いろんな旅行会社で同様の企画を行っている.一口に古城と言っても,それこそ星の数ほどの城がある.多くの城の中から今回我々が選んだのは,シャンボール城・シュベルニー城・シュノンソー城を巡るツアーだった.今回の旅行は新撰組 IN パリ用のハイヤー以外はすべてデスクに丸投げしていたため,利用するツアー会社はデスクのいうがままシティラマという会社になっていた.
 あらかじめ渡されたパンフレットによると,この日は朝7時に旅行会社集合である.地図で見るとシティラマ社はルーブル美術館の北側,ジャンヌダルクの騎馬像が立つピラミッド広場にあるらしい.朝食を食べてのんびり歩いて行く時間はなさそうだ.メトロで行く手も考えたのだが,この時期フランスの日の出は遅く,暗い中歩くのも不安

フランス中部を流れる
ロワール川

ルーブルにほど近い
シティラマ社
 
だったのでフロントでタクシーを呼んでもらった.
 会社に着くと窓口にクーポンを出して手続きを済ませる.係員が来るまでその辺で待つように言われたため,バス停(のようなもの)周囲をウロウロしていた.ここでは我々同様多くの観光客っぽい人がたむろしていた.4月になったとはいえパリの早朝は寒く,吐く息が白い.しばらく待っていると係員と思しきアジア系の男性とヨーロッパ系の女性がやって来てこちらに来るように促していたためついていく.行った先には立派な観光バスが待っており早速乗り込んだ.
 人々が乗り込むとバスは走り始めた.見渡すと結構たくさんの客が乗っている.一部日本人と思しき人々もいたが,多くはヨーロッパ系である.しばらくすると先ほどの係員の話が始まった.ヨーロッパ系の女性がまず英語・スペイン語で説明し,次にアジア系の男性が日本語で説明するという流れである.どうやらこのツアーは英語・スペイン語・日本語用のようであった.
 


フランスのさざえ堂

 バスは高速道路に入って一路南へ.ます向かうのはシャンボール城である.
 シャンボール城はロワール川では最大の規模を誇る城郭である.16世紀フランスを代表する国王フランソワ1世(ハプスブルグ家のカール5世と神聖ローマ皇帝位を争ったことで知られる)が造ったといわれている.イタリア・ルネサンス様式の城郭ではあるが,温暖なイタリアの建築技法を寒い中央フランスに持ち込むのは無理があったのか,実際に人が住むには不便な城であり,当のフランソワ1世もわずかな期間しか滞在していなかったらしい.
 フランソワ1世の死後はフランス歴代国王や大貴族の所有となったが,17世紀のルイ14世を除いて歴代の所有者はあまりこの城の維持には熱心でなかったようである.
 到着後,まずは外から建物を眺める.外観は多くの円塔(ダンジョン)が配置された典型的な西洋の城館の趣である(ドラゴンクエストシリーズに出てきそうなお城である).ふと見るとあちこちに丸い傷跡がたくさんあるのに気づいた.これは第二次大戦時に受けた機銃掃射の痕とのことで,大戦時にはこんな田舎のお城も戦火とは無縁ではいられなかったのである.
 中に入ると,感想は「広い!」であった.城内には大小400以上の部屋,80箇所以上の階段があるなどとにかく広いのである.フランソワ1世も城のすべてを把握していなかったに違いない(笑).そして城の中央にあるのが,この城最大の名物のらせん階段である.これは一説にはフランソワ1世と親交のあったイタリア人レオナルド・ダ・ビンチが設計に関わったとも言われている不思議な階段のことで,2本のらせん階段がちょうどDNAのように組み合わされた構造をしており,塔を上る人と下る人が途中で出会わないようにできているのだった.実は似たような概念の建物が日本にも存在する.

シャンボール城の正面

ドラクエシリーズに出てきそうなお城です

なにやら馬に乗った人たちがいました

この城にも第二次大戦の戦禍の跡があります
 
それは会津若松市の白虎隊で有名な飯盛山の中腹にある「さざえ堂」というお堂である.造られたのは寛政八年(1796年)で郁堂という僧侶が建立したものである(会津さざえ堂公式サイト).今回シャンボール城のらせん階段でもガイドが会津のさざえ堂との類似点などを解説していた.  

広い庭です


内部にはこのようなタペストリーがたくさん飾られていました

登る人と降る人が出会うことのないらせん階段です
 

らせん階段はこんな感じです

こちらは会津のさざえ堂です

ここも登る人と降る人は出会いませんが,フランスのお城とは趣が違います
 


シュベルニー城

 シャンボール城の見学を終えた後,バスに乗り込んで次に向かうのはシュベルニー城である.ここは17世紀の前半にフィリップ・ユロー(シュベルニー伯爵)によって築かれた城である.その後何度も持ち主が変わったものの,ナポレオン戦争後の王制復古時代にユロー家に買い戻され,以来その所有にある城である.なんと今でもユロー家の当主が住んでいるんだそうである.
 内部に多くの貴重な調度品があることで知られるお城であり,またたくさんの猟犬が飼育されていることでも知られている(我々が訪問したときもたくさんの犬がワンワン吠えていた).外から見た感じは城というより貴族の館といった趣だ.入場にあたってガイド氏から注意事項の説明がある.なんでもこのお城は現在内部の写真撮影が禁止されているらしい.なぜかというと,以前泥棒に入られたことがあり,この泥棒が事前に内部の写真撮影によって目ぼしい調度品のありかを把握して効率的に盗んでいったためであるという.

シュベルニー城の入り口

貴族の館の趣の城です
 
 というわけでカメラはポケットにしまったままで見学に向かった.内部はやっぱり城というより館風である.食堂や居室,図書室など家事多くの部屋があり,各部屋には甲冑やらタペストリーやら豪華な調度品がたくさん飾られていた(こりゃ確かに盗み出したいという衝動に駆られる輩が出てくるはずだと思った).
 この城を見学した後は自由昼食時間となり,私とKは近所にあったイタリア料理店に入ってパスタとワインを堪能した(いつものことであるが,私が旅行に出かけるとアルコールの消費量がグンと増える).
 


6人の女の城

 自由昼食後再びバスに乗り込み,本日の最終目的地であるシュノンソー城へと向かう.実はこの城は18年前に行ったことがある.ロワール川の支流シェール川に架かるアーチ橋が美しいシュノンソー城は代々女性が城主だったことで知られている.
 この城が築かれたのは16世紀であるが,その後城の所有者となった国王アンリ2世は自分の愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエにこの城を贈った.この城を気に入った彼女はシェール川に架かるアーチ橋を造った.しかしアンリ2世の死後王妃カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌからこの城を奪い,彼女は追放されてしまう.カトリーヌもこの城が気に入ったようで,自ら城に手を加え自分の名を冠した庭を造営させている.また今に残る橋上の二層のギャラリーは彼女によって作られた(中では舞踏会が行われたらしい).
 カトリーヌの死後この城の持ち主はアンリ3世の妃ルイーズ・ロレーヌ=ヴォーデモンに移り,その後もなぜか歴代の持ち主が女性だったことから「6人の女の城」と呼ばれたものである.現在はチョコレート製造会社を経営するムニエ家の所有となっている.
 我々が到着した時間はあいにく小雨がぱらつき始めたため初めに城の内部を見学した.まずは城の入り口に立つマルクの塔,ついで城内に入り礼拝堂やディアーヌの居室を見学する.礼拝堂のステンドグラスは第二次大戦で破壊されてしまい,今のは戦後に再建されたものとのことであった.

早春のシュノンソー城にて

こちらは1991年夏に訪問した際のシュノンソー城です

礼拝堂内部のステンドグラス
 
ディアーヌの居室には西洋の絵画によく描かれていそうな寝台が置いてあった.ルイ14世のサロンには教科書で見たことがあるルイ14世の肖像画が飾ってあり,厨房には当時の鍋などが吊るしてあった.
 こうして城内見学のあとは庭に出て,ディアーヌの庭園・カトリーヌの庭園を巡る.これらはベルサイユ宮殿でもおなじみの幾何学模様の庭園であり,日本の庭園とは全く趣が違うものである(バロック様式というものであろう).
 さて,このシュノンソー城には城見物以外の楽しみがある.それは
ワイン,ここにはワイン醸造所があり,敷地内のワインセラーで試飲もできるのである.私もKも大のワイン好きである.行かない手はない.というわけで,他の観光客がまだ城見学しているうちからやってきた.いろんな種類のワインをかわるがわる試飲し,すっかりいい気持になったのだった(このあと自宅用にワインを購入したのは言うまでもない).
 

ここがディアーヌの居室です


これが良く知られた
ルイ14世の肖像画

シュノンソー城にはワインハウスもあります
 


謎の日本料理店

 ロワール川の城めぐりを終え,バスで2時間くらい揺られて(ワインの影響でほとんど寝ていた)市内に戻った我々はいったんホテルに帰った.今夜はパリ・ナイトツアーという市内の夜景を見物しようという企画に参加することになっているからだ.
 シャワーを浴びて着替えをして夕食に出る.昨夜気合いの入ったレストランで食べたので今夜は軽く行こうと思っていたら,ホテルの目の前に
京都という名の日本食を出していそうなお店を発見,面倒くさいのでそこに入ることにした.中は大衆食堂の趣で,客のほとんどは非日本人,そして店員も非日本人だった.「も,もしかしてこれがウワサのなんちゃって和食の店か」と思ったが,今更出るのも面倒なのでそのまま席に着いた.
 メニューもアルファベット表記だったが,内容はSUSHI, YAKITORIなどおなじみのものである.とりあえずSUSHIとビールを頼んだ.待つこと10分SUSHIが出てきた.さあ食べようと思ってみると…,あれっネタの
ほとんどがサーモン,しかもシャリの粒が妙に細長いぞ… もしかしてこれは(これはSUSHIであって寿司ではないのだろう 笑).いやぁ,日本の回転ずしではまぐろづくしなんてセットは見たことがあるが,サーモンづくしは初めてだなと思いながら食べたのだった(値段は結構安かった.思うにサーモンは最も入手しやすく,非日本人にも抵抗がないネタなんでしょう).
 


パリ・ナイトツアー

 夕食を終えた後,ツアーの集合場所であるオペラ座近くのホテルに向かう.着くと既に何人か集まっていた.時間になりやってきたガイド氏の案内でバスに乗り込む.日中のシティラマ社のバス同様立派な観光バスである.乗り込んだのは我々を含めて20人ほど,ガイド氏曰く「今夜の皆さんは非常に運がいい.いつもはバスいっぱいのお客さんが乗るので,バスの乗降だけでかなりの時間がかかってしまうのだが,今夜は少ないので見学時間が多く取

夜のシャンゼリゼ通り
 
れる」というのであった.まあ何にせよめでたい話ではある.
 このツアーは夜のパリをバスで巡り観光するという企画である.バスはルーブル美術館からシテ島を通ってコンコルド広場からシャンゼリゼ通りを走って凱旋門へ,その後エッフェル塔からアンヴァリッドを経由して最後はモンマルトルのムーランルージュを経てスタート地点に戻った.途中凱旋門とエッフェル塔が見える旧陸軍士官学校前では下車での観光となった.参加者たちははみなあちこちで思い思いのまま写真を撮っていた.
 ツアー後はホテルに戻って部屋で酒を飲んでいたが,朝早かったせいもあり,眠くなってそのままバタンと眠り込んだのだった.さあ明日はいよいよ「新選組 IN パリ」である.
 

ライトアップされた凱旋門

こちらは夜のエッフェル塔

有名なムーラン・ルージュ
 

ライトアップされたエッフェル塔
 



 

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