バスは高速道路に入って一路南へ.ます向かうのはシャンボール城である.
シャンボール城はロワール川では最大の規模を誇る城郭である.16世紀フランスを代表する国王フランソワ1世(ハプスブルグ家のカール5世と神聖ローマ皇帝位を争ったことで知られる)が造ったといわれている.イタリア・ルネサンス様式の城郭ではあるが,温暖なイタリアの建築技法を寒い中央フランスに持ち込むのは無理があったのか,実際に人が住むには不便な城であり,当のフランソワ1世もわずかな期間しか滞在していなかったらしい.
フランソワ1世の死後はフランス歴代国王や大貴族の所有となったが,17世紀のルイ14世を除いて歴代の所有者はあまりこの城の維持には熱心でなかったようである.
到着後,まずは外から建物を眺める.外観は多くの円塔(ダンジョン)が配置された典型的な西洋の城館の趣である(ドラゴンクエストシリーズに出てきそうなお城である).ふと見るとあちこちに丸い傷跡がたくさんあるのに気づいた.これは第二次大戦時に受けた機銃掃射の痕とのことで,大戦時にはこんな田舎のお城も戦火とは無縁ではいられなかったのである.
中に入ると,感想は「広い!」であった.城内には大小400以上の部屋,80箇所以上の階段があるなどとにかく広いのである.フランソワ1世も城のすべてを把握していなかったに違いない(笑).そして城の中央にあるのが,この城最大の名物のらせん階段である.これは一説にはフランソワ1世と親交のあったイタリア人レオナルド・ダ・ビンチが設計に関わったとも言われている不思議な階段のことで,2本のらせん階段がちょうどDNAのように組み合わされた構造をしており,塔を上る人と下る人が途中で出会わないようにできているのだった.実は似たような概念の建物が日本にも存在する. |
シャンボール城の正面 |
ドラクエシリーズに出てきそうなお城です |
なにやら馬に乗った人たちがいました |
この城にも第二次大戦の戦禍の跡があります |
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それは会津若松市の白虎隊で有名な飯盛山の中腹にある「さざえ堂」というお堂である.造られたのは寛政八年(1796年)で郁堂という僧侶が建立したものである(会津さざえ堂公式サイト).今回シャンボール城のらせん階段でもガイドが会津のさざえ堂との類似点などを解説していた. |
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広い庭です
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内部にはこのようなタペストリーがたくさん飾られていました |
登る人と降る人が出会うことのないらせん階段です |
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らせん階段はこんな感じです |
こちらは会津のさざえ堂です |
ここも登る人と降る人は出会いませんが,フランスのお城とは趣が違います |
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